《新编日语泛读教程学生用书3》课件-新编日语泛读教程 学生用 第四册 第二版 第14课_第1页
《新编日语泛读教程学生用书3》课件-新编日语泛读教程 学生用 第四册 第二版 第14课_第2页
《新编日语泛读教程学生用书3》课件-新编日语泛读教程 学生用 第四册 第二版 第14课_第3页
《新编日语泛读教程学生用书3》课件-新编日语泛读教程 学生用 第四册 第二版 第14课_第4页
《新编日语泛读教程学生用书3》课件-新编日语泛读教程 学生用 第四册 第二版 第14课_第5页
已阅读5页,还剩38页未读 继续免费阅读

下载本文档

版权说明:本文档由用户提供并上传,收益归属内容提供方,若内容存在侵权,请进行举报或认领

文档简介

第14課

テキストA城の崎にて考えよう

ア、あなたは、暴力や戦争などをテーマにする映画を見たとき、その中の人々の死について、どう思っていたか。印象に残った映画のシーンを思い出して、隣同士と話し合いなさい。

イ、死とはなにものか。死は恐ろしいものか、空しいものか、無力なものか。死のことを真剣に考えたことがあるか。答えがどうなっていても、その理由を考えてみなさい。第14課

テキストA城の崎にて日本作者の紹介志賀直哉(しがなおや)1883~1971。小説家。通俗的な道徳の観念を超えた潔癖な倫理観と、絶対的な自我肯定に貫かれた特異な文学的資質をもち、日常的な生の体験を、作品を書くことによって鮮烈に生き直すという独自のリアリズムの手法を確立した。『城の崎にて』は1917年同人雑誌『白樺』に発表されたもので、清澄な生死観を明晰な手法によって表現した作品として知られている。作品に、『或る朝』『大津順吉』『清兵衛と瓢箪』『和解』『暗夜行路』などがある。本文は、『暗夜行路』によるものである。第14課

テキストA城の崎にて単語フェータル〔fatal〕希う〔こいねがう〕第14課

テキストA城の崎にて単語フェータル〔fatal〕

【形動】致命的。希う〔こいねがう〕

【動】願い望む。第14課

テキストA城の崎にて<読解ストラテジー通読>

次の文章は、病気で療養中の主人公がいろいろなことを見て、生と死について悟りを得たことを描いている。始めから終わりまで一通り読んで、どんなことを見て、どんなことを悟ったのかをまとめなさい。第14課

テキストA城の崎にて山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎(せきつい)カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云われた。二三年で出なければ後は心配はいらない、とにかく要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上———我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。頭は未だ何だか明瞭しない。物忘れが烈しくなった。然し気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。稲の穫入れの始まる頃で、気候もよかったのだ。第14課

テキストA城の崎にて一人きりで誰も話相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮していた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭になった所に山女が沢山集っている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然としているのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々とした夕方、淋しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事はやはり沈んだ事が多かった。淋しい考だった。然しそれには静かないい気持がある。自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ているところだったなど思う。第14課

テキストA城の崎にて青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。祖父や母の死骸が傍にある。それももうお互に何の交渉もな、———こんな事が想い浮ぶ。それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か?———今まではそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬ筈(はず)だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、———中学で習ったロード·クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた。第14課

テキストA城の崎にて自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。その羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑の大きな肥った蜂が天気さえよければ、朝から暮近くまで毎日忙しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいから摩抜けて出ると、一ト先ず玄関の屋根に下りた。其処で羽根や触角を前足や後足で叮嚀に調えると、少し歩きまわる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛立つと急に早くなって飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度咲きかけで蜂はそれに群っていた。自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出入りを眺めていた。第14課

テキストA城の崎にて或朝の事、自分は一疋(いっぴき)の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥(こうでい)する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程そのままになっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった(さびしかった)。他の蜂が皆巣へ入ってしまった日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。第14課

テキストA城の崎にて夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺麗に洗われていた。蜂の死骸はもう其処になかった。今も巣の蜂共は元気に働いているが、死んだ蜂は雨樋を伝って地面へ流し出された事であろう。足は縮めたまま、触角は顔へこびりついたまま、多分泥にまみれて何処かで凝然としている事だろう。外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は凝然と其処にしているだろう。それとも蟻(あり)に曳かれて行くか。それにしろ、それは如何にも静かであった。忙しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動く事がなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。自分は「范の犯罪」という短篇小説をその少し前に書いた。范という人が過去の出来事だった結婚前の妻と自分の友達だった男との関係に対する嫉妬から、そして自身の生理的圧迫もそれを助長し、その妻を殺す事を書いた。それは范の気持を主にして書いたが、然し今は范の妻の気持を主にし、仕舞に殺されて墓の下にいる、その静かさを自分は書きたいと思った。第14課

テキストA城の崎にて「殺されたる范の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分にはそんな要求が起っていた。その前からかかっている長篇の主人公の考とは、それは大変異って了った気持だったので弱った。第14課

テキストA城の崎にて蜂の死骸が流され、自分の眼界から消えて間もない時だった。ある午前、自分は円山川、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中をゆるやかに流れ、円山川へ入る。或所まで来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に七寸ばかりの魚串(さかなくし)が刺し貫してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣(いしがき)へ這上ろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる第14課

テキストA城の崎にて却々当らない。カチッカチッと石垣に当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった。鼠は何処かへ逃げ込む事が出来れば助かると思っているように、長い串を刺されたまま、又川の真中の方へ泳ぎ出た。子供や車夫は益々面白がって石を投げた。傍の洗場(あらいば)の前で餌を漁っていた(あさっていた)二三羽の家鴨が石が飛んで来るのでびっくりし、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。家鴨(かおう)は頓狂(とんきょう)な顔をして首を延ばしたまま、鳴きながら、忙しく足を動かして上流の方へ泳いで行った。第14課

テキストA城の崎にて自分は鼠の最期を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極った運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。今自分にあの鼠のような事が起ったら自分はどうするだろう。自分はやはり鼠と同じような努力をしはしまいか。自分は自分の怪我の場合、それに近い自分になった事を思わないではいられなかった。自分は出来るだけの事をしようとした。自分は自身で病院をきめた。それへ行く方法を指定した。若し医者が留守で、行って直ぐに手術の用意が出来ないと困ると思って電話を先にかけて貰う(もらう)事などを頼んだ。半分意識を失った状態で、一番大切な事だけによく頭の働いた事は自分でも後から不思議に思った位である。第14課

テキストA城の崎にてしかもこの傷が致命的なものかどうかは自分の問題だった。然し、致命的のものかどうかを問題としながら、殆ど死の恐怖に襲われなかったのも自分では不思議であった。「フェータルなものか、どうか?医者は何といっていた?」こう側にいた友に訊いた。「フェータルな傷じゃないそうだ」こう云われた。こう云われると自分は然し急に元気づいた。亢奮から自分は非常に快活になった。フェータルなものだと若し聞いたら自分はどうだったろう。その自分は一寸想像出来ない。自分は弱ったろう。然し普段考えている程、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そしてそういわれても尚、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それは鼠の場合と、そう変らないものだったに相違ない。で、又それが今来たらどうかと思って見て、猶且(なおかつ)、余り変らない自分であろうと思うと「あるがまま」で、(1)気分で希うところが、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のない事だ。第14課

テキストA城の崎にてそんな事があって、又暫くして、或夕方、町から小川に沿うて一人段々上へ歩いていった。山陰線の隧道の前で線路を越すと道幅が狭くなって路も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までという風に角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物が総て青白く、空気の肌ざわりも冷々として、物静かさが却って何となく自分をそわそわとさせた。大きな桑の木が路傍にある。彼方の、路へ差し出した桑の枝で、或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いて来た。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。第14課

テキストA城の崎にて段々と薄暗くなって来た。いつまで往っても、先の角はあった。もうここらで引きかえそうと思った。自分は何気なく傍の流れを見た。向う側の斜めに水から出ている半畳敷程の石に黒い小さいものがいた。いもりだ。未だ濡れていて、それはいい色をしていた。頭を下に傾斜から流れへ臨んで、凝然としていた。体から滴れた水が黒く乾いた石へ一寸程流れている。自分はそれを何気なく、踞んで見ていた。自分は先程いもりは嫌いでなくなった。蜥蜴は多少好きだ。屋守は虫の中でも最も嫌いだ。いもりは好きでも嫌いでもない。十年程前によく蘆(あし)の湖でいもりが宿屋の流し水の出る所に集っているのを見て、自分がいもりだったら堪らないという気をよく起した。いもりに若し生れ変ったら自分はどうするだろう、そんな事を考えた。その頃いもりを見るとそれが想い浮ぶので、いもりを見る事を嫌った。然しもうそんな事を考えなくなっていた。自分はいもりを驚かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振りながら歩く形が想われた。第14課

テキストA城の崎にて自分は踞んだまま、傍の小鞠程の石を取上げ、それを投げてやった。自分は別にいもりを狙わなかった。狙ってもとても当らない程、狙って投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考えなかった。石はこツといってから流れに落ちた。石の音と同時にいもりは四寸程横へ跳んだように見えた。いもりは尻尾を反らし、高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思って見ていた。最初石が当ったとは思わなかった。いもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。すると肘を張ったようにして傾斜に堪えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめって了った。尾は全く石についた。もう動かない。いもりは死んで了った。自分は飛んだ事をしたと思った。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了ったのは自分に妙な嫌な気をさした。素より自分の仕た事ではあったが如何にも偶然だった。いもりにとっては全く不意な死であった。自分は暫く其処に踞んでいた。第14課

テキストA城の崎にていもりと自分だけになったような心持がしていもりの身に自分がなってその心持を感じた。可哀想に想うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。自分は淋しい気持になって、漸く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。遠く町端れの灯が見え出した。死んだ蜂はどうなったか。その後の雨でもう土の下に入って了ったろう。あの鼠はどうしたろう。海へ流されて、今頃はその水ぶくれのした体を塵芥(ちりあくた)と一緒に海岸へでも打ちあげられている事だろう。そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。然し実際喜びの感じは湧き上っては来なかった。(2)生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。もうかなり暗かった。視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、如何にも不確だった。只頭だけが勝手に働く。それが一層そういう気分に自分を誘って行った。三週間いて、自分は此処を去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。第14課

テキストA城の崎にて練習問題問1次の文における下線をつけた単語の正しい読み方か漢字を、後のA、B、C、Dから一つ選びなさい。①話し合った結果、ついに受諾せざるをえない羽目に陥ってしまった。A.はねめB.はめC.うもくD.はもく②小高い山の裾を抜けると、のどかな田園風景が車窓一面に広がった。A.すそB.へそC.みそD.ふもと③淳子ちゃんの足がもつれて危うく転びそうになった。A.あぶうくB.あやうくC.あいうくD.けわうく④あの猫は、全身黒ずんだ灰色の中に虎斑があります。A.こばんB.とらはんC.とらふD.とらぶ⑤その若者は、先ほどの坂を下り、角を曲がって、見えなくなった。A.かくB.すみC.つのD.かど第14課

テキストA城の崎にて練習問題問1次の文における下線をつけた単語の正しい読み方か漢字を、後のA、B、C、Dから一つ選びなさい。⑥大好きな親友に恋人が出来て、すごく嫉妬して親友に素っ気ない態度取ってた。A.しとB.しつどC.しっとD.じっと⑦いつのまにか、彼女の蒼白い顔に見慣れない色が浮かんでいた。A.くらじろいB.あおじろいC.さおじろいD.あおしろい⑧六浦刑事は、椅子に腰をおろしたまま凝然と動かないでいる。A.きぜんB.ぎぜんC.きょうぜんD.ぎょうぜん⑨朝は晴れ、木の葉も地面も屋根もきれいに洗われていた。A.きのは/ちめんB.きのは/じめんC.このは/ちめんD.このは/じめん⑩蜥蜴や屋守などは、子供の時から怖くて大嫌いです。A.とかげ/やもりB.とかげ/いもりC.さそり/いもりD.さそり/やもり第14課

テキストA城の崎にて練習問題問1次の文における下線をつけた単語の正しい読み方か漢字を、後のA、B、C、Dから一つ選びなさい。峰子はいかに諫められようと、いっこうに反省しようとしない。A.一考B.一口C.一向D.意向連載中は、読者の方々から多くのげきれいの手紙をいただきました。A.激励B.激澪C.劇烈D.激烈妊娠すると、睡眠を十分取るように注意しながらようじょうしてください。A.養性B.養成C.摂生D.養生ここから、赤や青のかわらを葺いた家々の屋根が小さく見える。A.川藁B.河原C.瓦D.河藁その恐ろしい叫び声が、戸外の陰気なせいじゃくを破ってまたも聞こえてくる。A.脆弱B.寂静C.閑寂D.静寂第14課

テキストA城の崎にて練習問題問1次の文における下線をつけた単語の正しい読み方か漢字を、後のA、B、C、Dから一つ選びなさい。父は、アメリカはぶきような者にはとても住みいいところだと笑いながら言った。A.不器用B.不起用C.無器様D.不機用「鼻」と書いた紙片をを見た生徒の一人が思わずとんきょうな声を上げた。A.遁狂B.頓叫C.噸興D.頓狂肺がんはとても苦しい病気で、そのほとんどは、痛みと苦しみのなかでさいごを迎えます。A.最後B.最期C.歳後D.歳期彼の才気は、若さと貫禄、軽妙さと重厚さ、りょうきょくにあるものを共有する。A.両端B.良曲C.両極D.両局肺とせきついは蝕まれていたものの、胃腸のほうはまだまだ丈夫だった。A.脊髄B.脊椎C.積水D.関節第14課

テキストA城の崎にて練習問題問2この文章を五つの段落に大きく分けられるが、各段落の要旨をまとめなさい。問3蜂の死骸を見る部分において、「寂しかった」「静か」といった言葉が何度も出ているが、それらをどう理解すればいいか。問4下線部(1)「気分で希うところが、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、……」とあるが、「気分で希うところ」と「実際」の内容を分かりやすく説明しなさい。第14課

テキストA城の崎にて練習問題問5下線部(2)「生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった」とあるが、それをどう理解すればいいか。問6主人公の死生に対する思いで最も適当なものを、次の中から一つ選びなさい。①死は嫌な気がするものであるから、何としても生きたいと思っている。②生の寂しさに堪えかねて生を厭い、死を願望している。③人間の力は無力であり、生死などどうでもいいと、虚無的になっている。④死生は運命のままと言いつつ、内心は無意識に生を願望している。第14課

テキストA城の崎にて第14課

テキストB戦後その精神風景·死日本作者の紹介谷川俊太郎(たにがわしゅんたろう)1931年生まれ。詩人。詩作のほかに、劇作、歌詞、映画脚本、絵本、童話、翻訳と多方面で活動をしている。詩集『二十億光年の孤独』『うつむく青年』、エッセイ集『散文』、翻訳『あかんぼ大作戦』など。本文は、『「ん」まであるく』による。第14課

テキストB戦後その精神風景·死単語ノンセンス〔nonsense〕コンセンサス〔consensus〕ギャグ〔gag〕建前〔たてまえ〕あってなきもの第14課

テキストB戦後その精神風景·死単語ノンセンス〔nonsense〕

【名·形動】無意味なこと。たわいないこと。ばかげたこと。コンセンサス〔consensus〕

【名】意見の一致。合意。ギャグ〔gag〕

【名】映画や演劇などで、観客を笑わせるために筋と関係なく挿入される即興風な台詞や動作。建前〔たてまえ〕

【名】基本となる原則。あってなきもの

【名】あってもなくてもいいもの。第14課

テキストB戦後その精神風景·死<読解ストラテジー通読>

この文章を一通り読んで、文章の主旨として筆者が最も言いたい一文にマークをつけなさい。第14課

テキストB戦後その精神風景·死一九五〇年代の封切りだったと思う、「井戸」という題名のアメリカ映画のことが記憶に残っている。一人の少女があやまって井戸に落ちる、それをどうにかして救い出そうとして、たくさんの人々が夜を徹して努力するというのが、主な筋だったと思うのだが、有名でも重要でもないひとりの人間の生命のために、それほどの労力と知恵と金が費やされるアメリカ社会のありかたに私は感動をおぼえたのだ。実話をもとにしたと思われるその記録映画ふうの手法も、当時としては新鮮だった。第14課

テキストB戦後その精神風景·死いま思えばそれはアメリカ社会の現実というよりひとつの理想であって、そのことは広島、長崎を考えても、その後のベトナム戦争を考えてもあきらかなのだが、戦時に少年時代をすごし、玉砕や集団自決の報道を当然のことのように受けとり、近所の焼け跡で焼死体のころがるさまを目のあたりにしてきた私には、そんな考えかたがあるということすら、おどろきだったのだ。個人の生命が集団に帰属するものではなく、何のためでも誰のためでもない一個の生命は、それだけで何ものにも代えがたいのだということを、私は敗戦を境とするもろもろの価値観の変動のひとつとして受けいれた。問27行目に「いま思えばそれはアメリカ社会の現実というよりひとつの理想であって……」とあるが、どうして筆者はこのように言っているか。第14課

テキストB戦後その精神風景·死新聞、放送などのいわゆるマス·メディアに、市井の無名の一個人の生死が、ときにはスキャンダルとして、ときには美談ふうに大きく扱われるようになったのも、私の記憶では戦後になってからのことで、そこにはひとりひとりの人間の存在が集団、あるいは共同体に先行するという民主主義の基本原理にもとづいた人間観、社会観があり、そういう観念をもたないわれわれ日本人も、いつか建前としてはそういう考えかたを受けいれるようになっていったと言える。第14課

テキストB戦後その精神風景·死個人の運命が国家という共同体の運命に帰属すると大多数の人間が考えていた戦時の反動として、われおれが個人の生命をかけがえのないものとしてとらえ直すことは必要だった。だが個の絶対化、神格化が極端になると、それは群棲(ぐんせい)動物である人間にとっては、必然的に偽善(ぎぜん)をもたらす。死は<鴻毛(こうもう)より軽>くないが、また人命は<地球より重く>もない。そのような美辞麗句(びじれいく)ではとらえることのできぬところに、われわれの現実はあり、その矛盾をかかえこむ以外に生きかたも死にかたもみつからない。第14課

テキストB戦後その精神風景·死サルトル①が死んだとき、ボーヴォワール②が言ったという<死は暴力である>という言葉に私は衝撃を受けた。愛する者を失った苦しみからの感情的な発言だとは思えない。それは人間存在をとりかえのきかぬ個としてとらえる西洋で、すでに神を信じなくなった人の論理がゆきつくところとしては当然であり、その烈しさに一種の畏敬の念を覚えるとともに、そのような死のとらえかたに大きな疑問をも感じた。注①サルトル———让-保罗·萨特,法国哲学家、作家,存在主义哲学大师。②ボーヴォワール———西蒙娜·德·波伏娃(SimonedeBeauvoir),法国存在主义作家,女权运动的创始人之一,萨特的伴侣。おれわれ日本人の感性の底には、死は自然であるという観念がいまだに生きていると思う。死と切り離すことのできぬ老いを、枯れるというような言葉で理想化するところにも、死を散る花のたとえで語るところにも、人間を自然と対立するものとしてではなく、最終的には自然と同化するものとして感じているわれわれの態度は表れている。けれど現実には、われわれの社会の内部でも、死はそのような形をとれなくなってきている。第14課

テキストB戦後その精神風景·死自然の移り変わり、その無常を核としたひとつの大きな農業共同体であった過去の日本は、明治以来の急激な近代化、工業化によって崩れ去った。いまわれわれの生きている社会はたとえば、身動きもできず、口もきけず、考える能力も、ものを食べる能力もない九十歳の老人をも人工的に生かしつづけておくことのできる社会であり、それが少なくとも建前としては善とされている社会である。個人の生命を尊重するあまりに、死の意味を見失っているのだとも言えようか。問441行目に「個人の生命を尊重するあまりに、死の意味を見失っているのだとも言えようか」とあるが、「死の意味」とはどういうことか。死ぬことはたしかに恐ろしい。人は誰でも死を避けようとする。不老不死の妙薬(みょうやく)を求める人間の欲望は魔術を生み出し、その延長として医学の発達をうながした。身体の死を不可避であると覚悟した者は身体の消滅したあとの永遠の生命を夢見る。その夢見かたは人さまざまだろう。ある者は死後の世界で先に逝った親や友人に会えると信じ、ある者は転生を信じ、またある者は極楽浄土(ごくらくじょうど)を信じる。人は最終的にはそれぞれの孤独な幻想にすがって死を迎えるしかない。第14課

テキストB戦後その精神風景·死だが死は個人的なものであるとともに、社会的なものである。自分の死について一応の覚悟ができればそれでよいのではなく、人は他人の死についても考えざるをえない。むしろ他人の死を考えるところにしか、自分の死を見きわめる途はないのだとも言える。誰も自分の死の経験を語ることはできないのだから。むしろそれ故にこそ、われわれは他人の死を見て見ぬふりをする。あたかも死などあってなきものの如く、衛生的に処理してしまおうとする。われわれは死を見失っている。たとえば保育園などで飼っている小動物が死ぬと、死体を子どもたちに見せるのは残酷だというので、ひそかに埋めてしまうという。またグリム③などの童話の結末は、しばしばハッピー·エンディングに再話される。都会に住む子どもらは、人間の死はおろか昆虫の死すらめったに経験できない。たまに出会う死も、白い壁にかこまれた清潔な病院内での死であり、その死はすぐに専門家の手によって華やかにかつ事務的に処理される。注③グリム———格林(Grimm)兄弟,德国19世纪著名的童话收集家、语言文化研究者。問5病院での死について、「その死はすぐに専門家の手に

温馨提示

  • 1. 本站所有资源如无特殊说明,都需要本地电脑安装OFFICE2007和PDF阅读器。图纸软件为CAD,CAXA,PROE,UG,SolidWorks等.压缩文件请下载最新的WinRAR软件解压。
  • 2. 本站的文档不包含任何第三方提供的附件图纸等,如果需要附件,请联系上传者。文件的所有权益归上传用户所有。
  • 3. 本站RAR压缩包中若带图纸,网页内容里面会有图纸预览,若没有图纸预览就没有图纸。
  • 4. 未经权益所有人同意不得将文件中的内容挪作商业或盈利用途。
  • 5. 人人文库网仅提供信息存储空间,仅对用户上传内容的表现方式做保护处理,对用户上传分享的文档内容本身不做任何修改或编辑,并不能对任何下载内容负责。
  • 6. 下载文件中如有侵权或不适当内容,请与我们联系,我们立即纠正。
  • 7. 本站不保证下载资源的准确性、安全性和完整性, 同时也不承担用户因使用这些下载资源对自己和他人造成任何形式的伤害或损失。

评论

0/150

提交评论